祭りの終わりに・・・

上野公園の思い出 (古い作品とともに)
SARIRI (旅人)/1992石版画(40X30cm)
1991年の春,東京都美術館に展覧会を見に行くため,日曜日の上野公園に行きました.
その頃私は葛飾区堀切というところに住んでいたので,上野公園には京成線で来て,しのばずの池のほうから上ってきて,桜並木の下を歩いて美術館へ行くのが常でした.
その大きな桜の木々の下ではじめてペルーの音楽を聴きました.こんなに悲しくて優しくって暖かい音楽をきくのは初めてだったのです.
それからしばらくの間,日曜になると,上野に音楽を聴きに行くのが習慣となってしまいました.
その頃,結構仕事がキツくって,残業は多い,時給は安い,土曜休みはない,帰ったら眠るだけ!そんな生活を続けるのがイヤで,時間のない中イヤミを言われながら版画を習いに行き始め,さらに時間もお金もなくなって・・・
そんな時,上野公園でタダで音楽を聴いたり(毎度タダ聴きも悪いから,飲み物を差し入れしたりカセットテープを買ったりはしたけど),珍しい言葉(スペイン語)や,遠い遠い国の話を耳にしたり.
まるで彼等は私のためにはるばる来てくれたような気がしました.

CACHARPARI DEL PASIRI
(祭りの終わりに)/1992石版画(55X40cm)
動物園や博物館の閉館時間の5時をすぎると,帰宅を急ぐ人々,半分眠くなった子供たちが,夕焼けの中からもの悲しいメロディーが聞こえてくるのにさそわれて足を止めます.
人々がさらにまばらになってきた頃,演奏も終わり,楽器をケースにしまい,駅に向かいます.「アスタ・ラ・プロクシマ・セマナ!また来週!」
この瞬間が何よりも悲しかった.心和ませてくれた音楽の終わりは,明日からの辛い仕事のはじまりで,その「跡形のなさ」は祭りの終わりよりも静かでさみしかった.
また,彼等のほとんどが,それほど長い滞在期間でないことをうすうす気づいていた,という理由もある.
本当にまた来週会えるかどうかわからなかった・・・.
地球のウラ側に帰ってしまう人々とは,
一生会えなくなるんだと思っていたのです.

美学校石版画工房展(新橋)/1994
この年から数年フォルクローレをテーマにした作品が続きました.
それまでは,身近な動物とか草花とかを手当たり次第描いていました.何を描いたらいいかわからず試行錯誤している(今もそうだけど)時期に,彼等と出会ってしばらくテーマに困らなかった.
そうしているうちに本当にペルーを旅行する機会にも恵まれ,他の作品へと続く・・・.

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