〜日記のようなコーナー〜
立派な大根をいただいた。特に葉っぱが、ここまで大きいのは手に入らない。
速攻で切り落として、茹でようと思ったがちょうど小松菜を茹でた所だったので、
ベーコンとキノコと炒めて醤油少々で和風パスタに。大根直径15cmはおでんに。

     
2009年2月15日
河童
         
「池と沼の違いは河童がいるかどうか」というが、河童がいるのは川だと思う。
            

     
2009年2月13日
シャッター
         
私はムカシから、すごくリアルな夢を見るほうだ。
色はもちろん味やにおい、人の顔や声や歌、物音や振動、
そういうものが、起きている時と同じぐらい鮮やかだ。
    
ただ一つだけ、
シチュエーションがいつも変だ。
この人がここに居るはずがない、こんな事するはずがない、
この人と、この人が同時にいるわけがない、
具体的な例で言うなら、
私の母が日本語以外話すことはありえないのに、
間違いなく母の声で、スペイン語を話している!?とか。
     
そんな「ありえない内容」のおかげか、
目が覚めたとたんにスッと正気に(笑)もどる。
これが、もし有り得るシチュエーションだったら、
夢と現実が区別つかないのでは?と怖くなる。
     
いつだったか、残業で遅くなっている夢を見た。
Nさんが会社の入り口のシャッターを半分下げていた。
(私は背が低くてシャッターに手が届かないから、会社でも学校でも、
 帰るのが最後になりそうな時は、誰かにシャッターを半分下げてもらっていた)
残業したはずなのに、シャッターの向こうはなぜか眩しいくらい明るい。
Nさんが「じゃあ、お先」と言った、そのタイミングで目が覚めた。
一瞬にして、あ、Nさんはもう亡くなったんだった、と思い出した。
そういう「一瞬で思い出す」ことが、そのうちできなくなるのではないか?
     
今はまだ死んだ知り合いよりも、生きてる知り合いの方が圧倒的に多いが、
これから、色んな人と別れて行くうちに、
現実と夢とが逆転してしまうのではないだろうか?
            

     
2009年2月12日
自分
         
だいぶ前の話だが、
キャッシュカードの暗証番号を間違えてロックかかってしまい、
お金が下ろせなくなった。自分のお金なのに。たった4桁の数字のために!!
窓口に行って「自分が自分であることの証明」をするのに一苦労だった。
         
自分と他人なんてほんの少しの記憶の違いしかない。
その自分が記憶を間違えたら、もう自分なのか他人なのか分からなくなってしまう。
なんだか心許ない・・・。
        
        
だいたい、自分に自分が見えないのがやっかいだ。
自分の顔は鏡や写真で見なきゃいけない。
誰かに自分がここにいる事を認めてもらわないと、
実は自分は居ないのではないか?という気がしてくる。
そういうのを、ある少年は「透明人間な僕」と呼んだのだろうか?
その少年の犯罪は全く理解できないが、
人が透明人間になってしまうことはあるかもしれない。
       
サヨナラ(1994年/プリントゴッコ)
Satoko Iizuka, All rights reserved.
          
          
作品をスキャナーで取り込んでいるうちに、
こういう古いのも出てきた。
人は時々「寂しさ」を思い出した方がいい。
寂しくない時に寂しさを思い出せたら、
やさしい人になれるような気がする。
        
気がするだけ。(笑)
         

        
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