〜日記のようなコーナー〜

2001年12月31日
言葉の無い世界
ふと思ったこと。赤ん坊を見る目のあたたかさが、日本に来ている外国人は格別な気がする。なんかこう、ちょっと寂しげながら、なんともいえない微笑をする。
まだ言葉をしゃべらない赤ん坊は、ナニ人でもないからかな。だから、普段知らない日本人に囲まれて生活している中、ナニ人でもない赤ん坊は、誰にとっても懐かしい感じがするのではないかと。関係ないか。
ま、赤ん坊が誰にとっても大切な気持ちになるのには理由なんてないね。
  
自分にはまったく経験のないことで、想像もできないのだが、やはり「敵」の国の人なら赤ん坊でも憎いものなんだろうか?
   
あー、うー、とりとめないな。
今年一年もやっぱ世の中は「何だかなあ」ってかんじだった。個人的にはメデタイ年だったから、よけいに何か「これでいいのかー?」って、気持ちだけジタバタしてしまった。

2001年12月30日
のっぴきならない
さいきん胃腸のぐあいが良くない。宴会が続いているためかもしれない。私はお酒は一滴も飲めないので、宴会の間中ウーロン茶と、あとは食べ続けている。それが良くないのかもしれない。ムカシ(学生の頃)はウーロン茶なんてなかったから、ジュースとコーラを朝まで飲み続けたことがあったので、その頃よりはマシだが、その頃よりも明らかに体力は無い。   
   
私の身近な友人はだいたい私と似たような仕事具合だったので、「盆、暮れの休み前はとくに忙しい」「当日何があるかわからない」「仕事が無い時はまったく無いが、ある時はカンヅメ」そんなわけで、仲間内でかならず1〜2人はドタキャンか遅刻あたりまえで、それが常なので誰も気にしなくなっていた。疲れがたまって出かける気分でない時も、断ることができた。
  
ところが、結婚して自分の友人ではない集まりにも呼ばれるようになり、これは何となくはずせない。嫌だと言っているわけではない。それが普通なのだから。しかしまだ、こっちは本当に体調をくずしたり、仕事が入れば断ることが出来る。もっとはずせないのはやはり親戚関係の用事だ。これはもうしっかりカウントされ、席も用意されているのではずせない。
  
ずっとまえ既婚者の友人が「今日はのっぴきならない用事で・・・」と言っていたのを思い出す。その時は何のことだかさっぱりわからなかったのだが、今やっと知った。
2001年12月21日
喪中はがき
毎年せいぜい50通ぐらいしか年賀状のやりとりをしていない私でも、この時期に1〜2通必ず「喪中につき・・・」のハガキが来る。ちょっと前までは「祖父○○82才にて永眠」のように、たいてい友人の祖父母だったのだが、最近は「父○○が・・・」「母○○が・・・」と変わってきた。こういう時、自分も歳をとったんだなあ!と実感する。
「父母」とは友人本人の親であったり、嫁に行った先の両親であったりするわけで、つまり友人のひとりにつき4人の親がいるわけだから、まあ枚数が増えて当然なのだが、何だかやんなっちゃうなあ。急に寂しくなってしまった。
   
今年もすでに3通の喪中ハガキをもらった。
そんな中に、見慣れない男の人の名前があり、住所から高校の同級生のお嫁に行った先だとピンときた。いつもは夫婦と子供3人の連名でくるのだが、きっと忙しくてダンナに印刷の手配まかせちゃったんだな、と思った。
しかし、読んでがく然とした。「妻Y、11月19日に39才にて永眠」とあった。
  
しばらく声も出なかった。
田舎の友達に電話をしたが、彼女も同じハガキをもらったところだと言う。他の友人に「ガンだった」と聞いたらしい。
11月19日ということは、亡くなったばかりだ。友人とお線香あげに行こうか?などと話してはみるものの、ダンナさんとも子供たちとも面識がなく、行ったこともない場所に、亡くなって初めて訪ねて行くのはあまりに寂しすぎるのでやめにした。
  
高校2〜3年、私のクラスは席替えをしなかったように思う。そんな細かいことは生徒の自主性にまかせる担任の方針だったのか、女子高だから席なんか大した問題でなかったのもあるかもしれない。
私はクラスで一番視力が弱かったから、一番前の真ん中が定位置だった。そこを取り囲むように、6人のメガネが並んでいた。その6人組で修学旅行でも何でも一緒に行動することが常だった。その中のひとりがYちゃんだった。
  
卒業してから私は東京で就職し、Yちゃんは県外にお嫁に行き、同窓会でも彼女が欠席してたり、私が欠席したりで、まともに話せたことはなかったが、毎年年賀状のやりとりだけはしていた。こんなことになるなら、気楽な独身生活だったはずの私が訪ねて行けばよかった。なぜ電話のひとつもしなかったんだろう?
    
別の友人Kちゃんに電話をしてみた。Kちゃんは最近ダンナと別居をはじめたという。19才で結婚したので息子はもう大学生になる。彼女は言った。
「だあから〜、生きてるうちにやりたいことやんなきゃダメ!今度のことでアタシは確信したね!!も〜う、これからは好きに生きるの!!!」
Yちゃんが「やりたいこと」ができずに亡くなったとは思わない。でも、それにしても、やっぱし・・・39才は・・・早すぎるよね・・・。
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