〜日記のようなコーナー
落ち葉の足跡
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- 2007年11月27日
- フランキーの娘
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- 美学校で雑談していたら「自分に似ている有名人」の話しになった。
どれもなかなか鋭いところを突いており、大爆笑というよりは「ほ〜!」と感心してしまった。
とくにH越さんがヤワラちゃんに似ている、などまったく気づかなかったが、言われてみれば確かに似ている!
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- 私が今まで一番多く言われたソックリ芸能人は山田邦子であろう。
自分では、アゴが出ているところ以外何も共通点が無いように思えるのだが・・・
しかし、私が東京に出てきてから、テレビに山田邦子が出るたびに、
- 父が「サトコが出てるぞ」と言っていたそうだ。
- 実の親が似ていると言うぐらいだから、やはり似ているのだろう。
- こちらとしては少々不服だったが。
- 子供の頃は、私自身はあまり誰かに似ていると言われた記憶はないが、
父が四角い顔をしていて(若い頃は今よりもう少し肉付き良かったらしい)
フランキー堺に似ていたそうだ。
- それで私は父の会社の同僚に「フランキーの娘」と言われていた。
私は父にソックリだったから、私もフランキー堺に似ていたのだろうか・・・?
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- 「フランキー」と聞いてフランキー堺をすぐ思い浮かべる人は50代以上に違いない。
今ちょっと「フランキーの娘」と書いてみると、何やらカッコイイ響きかも?
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- 2007年11月20日
- ハイビジョン
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- やばいかも!ハイビジョン。綺麗すぎ・・・
先月頭アンテナが倒れたのを機に地デジ用アンテナに付け替えた。
- で「せっかくデジタルなんだから」とテレビも液晶のに買い換えた。
- そのうえさらに「せっかく綺麗なテレビなんだから」と衛星放送まで契約した。
- ハイビジョン特集を朝から見まくりで、おかげで「ちぃ散歩」も見ていない。
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- 黒川紀章が六本木の国立新美術館のオープンの時のインタビューで、
「これからはハイビジョンの時代で、世界中の作品はデジタル画像でいくらでも見られる。」
といった話しをしているのを聞いた時、私も全く同感であった。
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- なにしろ卒業制作のコンセプトに「国宝もデジタル化されて省スペース化」みたいな事を書いたぐらいだ。
ただし、その頃はパソコンどころか、複写もままならず、
(学生生協と図書館に有料のコピー機が一台ずつしかなかった時代)
ただ延々と(気持ちはデジタル)点描で竜虎図屏風を描いただけだったが・・・
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- その国立新美術館だが、先日やっとフェルメールを見に行った。
その前にさんざんテレビで、美しい、美しい、煽っていたり、
入場すればしたで「牛乳を注ぐ女」の前は、立ち止まらず歩きながら見ろとの事。
- 期待ばかり高まる。並んでいる前後のカップルや老夫婦の会話が自然と耳に入る。
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「エプロンの所の青が、ラピスラズリっていう貴石をすり潰して亜麻仁油で溶いたんですって」
と、つい先日私もテレビで聞いたことを話している。
当時の絵の具が鉱石を削って油で溶くのは当たり前だったって事は置いといて、
皆がどんなに「美しい青」に期待しているかがわかる。
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- ようやく順番が来たが、絵まで遠すぎ!絵小さすぎ!会場暗すぎ!
- 期待していたラピスラズリの青、どれ?
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- よく考えたら、元々フェルメールの絵はどれも小さいのに、
- 画面では5倍ぐらいまで拡大され、たとえもしも手にとって見ることができたとしても、
- あそこまで細部は肉眼で見えないのではないか?
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- 何を以て「美しい」と定義するかは難しい問題だが、
- 絵そのものや印刷物などは「反射光」で見ているのに対して、
パソコンやテレビの画面は「バックライト」で見ているのだから、
「対象物に光が当たっている」のと「対象物が光を放っている」のでは
極端な例えをすれば惑星と恒星ぐらいの違いがある。
- テレビが作品を必要以上に美しく見せてしまうと、一時は美術館に行く人が増えるかもしれないが、
- それがバレてしまったら、ますます美術館に行く人は減ってしまうのではないか・・・
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