- 〜日記のようなコーナー〜
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- 2009年6月22日
- 種になった人
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- 先週の日曜、朝から三沢の試合直後の映像を見て、背筋がざわざわして軽くパニクった。
何でリング・ドクターがいないのか?何で社員にAEDを使える人間がいないのか?
たとえ、それをしてたって、即死の人が助かる可能性は低かったとしても、
やっぱり何かのせいにせずにはおれない。納得いかない。
三沢光晴は私と同じ46歳だ。
S井さんが亡くなったのは、4月22日のことだ。
ちょうど一ヶ月前の3月22日、酒蔵での展覧会の搬出を終え、車に乗り込む私たちを、
「じゃあ、秋にまたコンサートやろうねー!」と元気に見送ってくれたのに。
S井さんは48歳。私よりたった2つ上だ。
今年の1月には動物好きのブログを通しての間接的な友人Hさんが、
40歳の若さで急死したばかりだった。
このことで「若い人でも急に亡くなることがあるんだ・・・」ということを、
知っていたはずなのに、それでも、やはり信じられない。
どんな人が、いつ亡くなっても、人の死は受け入れるのが難しいけれど、
今まで、特に若い人は、長い闘病の末に亡くなった人はいたけれど、
「突然の死」は、あまり経験が無かった。
それがこのところ続いてしまい、自分の中でまた何かが、壊れていく気がした。
三沢の事故死は、その後も色々なところで議論されている。
私がプロレスを見なくなってからの20年間に、
プロレスは「ショー」から離れることだけを意識するあまりに、
ますます危険なスポーツになっていったように思う。
しかし、それだけ危険なスポーツでありながら、
今まで何の規制も最低限の保証も無かったのはおかしい、
もっと整備されることを願う。これは、三沢が生前目指してきた事でもある。
S井さんの尽力で成功した酒蔵でのコンサートは、これからも続けることになった。
S井さんを通して出会った人、知った事は数知れない。
Hさんは、生前いつも言っていた。
「動物を飼うということは、動物を看取るということだ」
そんなHさん自身が、動物たちを残して急死したことを、どんなに無念に思っているか・・・
動物たちは、Hさんを良く知っている友人達によって無事保護されたが、
もしHさんが、ただ単に「捨て犬、捨て猫、かわいそ〜」と拾ってくるだけの人だったら?
そして近所の人との交流もなく、数日間発見されることがなかったら?
飼われている動物は、飼い主がいなくなったら、飢えて死んでしまう。
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- 本当は、一番身近なS井さんのことだけを書こうと思ったのだが、
- あまりに重くて、受け止められなくて、今日まで書けなかった。
- その後何度かS井さんのお母様とお会いした。
- 最愛の我が子に先立たれた姿は、気丈にしてはおられたが、
- あまりにも切なくて、つらくて、
- それまで一度も想像したことがなかったような、
- 胸の痛みで、おしつぶされそうになった。
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- 「とりあえず、親より長生きしようね。」
- と、二人で話しながら家に帰った。
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- 若い人が天に召されるのは、何か理由があるに違いない。
- 彼らは選ばれて、招致された人達のではないだろうか?
- そう思わないとやってられない。
最近、ある友人のブログで、話題になっている歌のことを知った。
誰かの遺言を元に作られたもので「一粒の種」という歌だ。
種は、小さいけれど強い。いつかまた芽が出る。
彼らは、種になった、と思った。
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