- 2001年10月17日
- 「帰りたい、帰りたい」
- 初めて買った洋楽のレコードは、オリビア・ニュートン・ジョンが唄っている「カントリー・ロード」で、何かのテレビ番組かCMかの主題歌で、きれいな曲だと思って買ったのだが、「故郷へ続く古びた一本道よ、私を故郷へ連れて帰っておくれ」という内容だと知って、ますます感動した憶えがある。その頃の私の帰りたかったのは東京で、歌とは逆だと思った。
父は今でいう「Uターン組」と言うのかな?東京で就職し4人家族で暮していたのだが、祖母の看病のために仕事をやめて一家で田舎に帰って再就職した。私は5年生になる時に群馬に転校して、言葉がわからないのと、田舎にはメガネをかけた子供があまりいなかったので、いじめられて、学校が好きではなかった。
今でも母は「サトコがお母さん東京に帰ろう、というのが辛かった」と言う。
初めて南米の音楽に触れたのは、上野公園でペルー人が演奏していたのを聴いてからで、中でも「EL SARIRI(旅人)」という曲が好きだった。当時はスペイン語が全然わからず、辞書を買って聞こえたとおりに一生懸命調べるのだが、今思うと動詞が活用したり南米にしか無い「アワヨ」とか「ワイラ」とかいう言葉が出てきたりで、辞書だけではとうてい理解不能な歌詞であった。(そのうち、日本語がペラペラなペルー人を見つけて意味を聞く、という手っ取り早い方法で解決したが。)
その歌は「母の待つ故郷へ、帰らなければ!」という内容で、「ティンク」という早くて勇ましいリズムにのせて、まるでアンデスのデコボコ道を(想像だけど)転びながら、息を切らせながら、走っているように感じた。この人は何でそんなに急いで故郷へ帰らないといけなかったんだろう?と思った。
メキシコの歌で「VOLVER VOLVER」という歌がある。曲はわりとノンビリしてやや哀愁はおびているものの、悲しい歌だとは想像もしなかった。以前はメキシコの歌にあまり興味がなかったのでよく知らなかった。「ラテン」というと「オヤジ」という感じがしていた。
はじめてペルー人の友達が帰る時、仲よくなった数人の日本人とでお別れ会を開いた。彼等はお酒が入るとすぐに陽気にギターを弾きながら唄いだした。ふだん路上やコンサートでは唄わない歌ばかりで、ペルーで流行った歌なのだろう。初めて聴く歌ばかりだった。いくつか「聞いたことがあるかな?」と思う歌は、メキシコの歌だった。
その中に「VOLVER VOLVER」があった。その頃にはスペイン語がややわかっていたので「VOLVER =帰る」という意味だとわかった。「キエロ・ボルベール、キエロ・ボルベール(帰りたい、帰りたい)」と繰り返されるその歌詞に、なんだか悲しくて胸が苦しくなった。
お酒を飲むたびに「キエロ・ボルベール・ア・ペルー(ペルーに帰りたい)」と言って泣く友人がいた。何だよ!そんなに日本が嫌なのかよ!そんなに帰りたいのかよ!友達だっているじゃないかよ!と詰め寄ったことがある。彼等は故郷に家族を置いて日本に働きにきていたので、そんなのはあたりまえだったが、何故だか悔しかった。
パパ・サラというグループの演奏する曲で一番好きなのが「風になって」という彼等のオリジナル曲だ。自分の夫の参加しているグループなので「手前みそ」みたいに聞こえてしまうといやだなあ。もっと早く書けばよかったんだけど。
この「風になって」の中に「ふるさと目指して風になれ!」というフレーズがあり、男女のツイン・ボーカルで力強くくり返される。それはまるで父と母がぐいぐい手を引き背中を押しているような、今すぐ何とかして早く帰りたい!!というさらに強い思いを感じた。日本語で歌っているせいもあるかもしれないが。あるいは、私がもう両親の元を離れてしまったので、寂しそうな二人の姿を思い出してしまうからかもしれない。
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