〜日記のようなコーナー〜

       
2004年8月18日
パレードスケジュール
     
浅草サンバカーニバル公式HPの「出場リーグ紹介」の
「第2サンバリーグ」のチーム紹介の一番上に
私たちが参加させていただく「samba do sol」が載っていた。
「パレードスケジュール」を見たら、第2サンバリーグのトップで
14:42スタート15:17ゴール。
ああ・・・・暑そう・・・・・・・・・
     
「浅草とサンバって・・・?」のところに、
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昭和30年代後半から40年代にかけて、当時の内山台東区長と
浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージを作るものとして、
ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案した・・・
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おお。伴淳さんの提案だったとは。光栄な。
        

       
2004年8月17日
夏はサンバ!
      
どういうわけか、再来週の「浅草サンバカーニバル」に出ることになった。
ダンナがサンバに詳しい知り合いに「見に行きたい」という話をしたら、
観るのは大変だから、出たほうが早い。
と、わけのわかんない理由で、私まで出ることになってしまった。
かといって、いきなりヘソ出して腰フルフリなんてできないぞ!!
      
その心配は無用であった。
サンバカーニバルには、3種類のグループ分けがあって、
一部リーグが、踊りや演奏のリズム、山車何台、すべてリオのカーニバルに忠実なの。
二部リーグは、もう少し自由に、サンバの演奏や踊りを楽しみたいグループ。
三部リーグというのが、子供達のブラスバンドとか、サンバ以外のリズムでも可。
     
そんなわけで、二部リーグに演奏グループとして毎年参加しているという、
ダンナの知り合いのグループに加えてもらうことになった。
当日初参加の人もいるとのことで、安心していたのだが・・・・
練習場所に行ってみると、結構すごい。太鼓の若者なんかキビシイ指導をうけていた。
そのキビシイ指導をしている人がダンナの知り合いだった。
よく聞いてみたら、もう15年もやってるというではないか!
知らなかった!聞いてないよ〜そんなの〜〜!
(「samba do sol」というグループ)
      
私はまったくのシロウトで!!ということを説明し、一番簡単そうな、
「ヘコヘコ」というなさけない名前の楽器を貸してもらう。
空き缶にバネが2本張ってあって、そこを金属棒で引っ掻く。
よく見かけるラテン楽器でいうところの「ギロ」みたいので、
トニー谷のような気分で「チャッスチャスチャッ!」とやっていたら、
そんなんでは野外では聞こえないのでもっとガリガリと強くやれ、とのこと。
本来はガリガリの他にも、もっと色々なテクニックがあるらしいが、
デカ音優先!ってことで、そのかわりにテクニックはかんべんしてもらう。
野外演奏を想定した大音響の猛レッスンで、手はしびれるし、
練習が終わってしばらくの間、耳がよく聞えなくなった。
     
ダンナのほうは楽器経験アリ、ということでややムツカシイ楽器を与えられる。
「タンボリン」という、要するにタンバリンのポルトガル語読みだけど、
小学校で使ったような鈴がついた薄い皮のやつでなく、
金属製の小さい枠にプラスチックの膜がパンパンに張ってあり、
そこをバチで叩いたり指で押さえて振動を止めたり、回転したりと忙しい。
しかし、本人すっかりハマッたらしく、翌日には「マイ・タンボリン」を購入していた。
     
というわけで、あと2回の練習で本番だが、
いったいどうなることやら。興味の有る方は見に行ってください。
いや、観るのは大変だから出たほうが・・・・あれっ?
     
表題の「夏はサンバ!」は、私の話ではなくて、
先日たまたま新宿のアルタ前で「沖縄エイサー祭」というのを見た。
その時、私のすぐ後ろのオバサン3人の会話。
オバA「エイサーもいいけど、やっぱり夏はサンバよね」
オバB「えっ?何」
オバC「マツケン・サンバのことよ〜楽しみね〜」
マツケン・サンバとは、松平健が公演のフィナーレで必ず唄う歌で、
テレビブロスの投稿などではかなり前から「すごいらしい」と話題になっていたが、
最近CD化されて、それで紅白を狙っている、とワイドショーでやってた。
オバサン達はその松平健のチケットを新宿コマに取りに来たらしい。
決して3人のオバサンだから三婆と言うオチではない。
       

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