- 〜日記のようなコーナー〜
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- 2004年10月24日
- 続・危険がいっぱい
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- 今日、美学校の自分の棚から紙をひっぱり出そうとしたら、
- 下の段のH田さんの棚からボロッと銅板が落ちてきてびっくりした。
- 地震とはまったく関係ない。まったくもう!
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- 2004年10月23日
- 危険がいっぱい
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- カゼが治ったら台風、台風去ったらパソコンが不調、
- そんなんで美学校にも行かず、HPも更新せずにいたら、
- 「サトコさん風邪がひどいらしい」ってことになっていた。
- 元気です。すんません。てなわけで美学校へ久々に出向く。
- 考えてみたら外出自体久しぶり。
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- 日頃から、美学校にいるときだけは地震に遭いたくないなと言っていたが、
まさかホントになるとは。このへんは震度3かそこらだったのだが、
随分と揺れた気分だ。しかも余震続き。なんてこった。
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- これといって展覧会をひかえていないせいか、授業が休みだったのか、
土曜なのに、今日は人があまり来ていなかった。
F川さんが帰り、続けざまに作業していた銅版画の2人も帰ってしまい、
私も今日はもう片づけて帰ろうとしていた。
(美学校の別事業AESSの)子供たちの絵の教室で、やはり片づけ中のS木さんと
- 子供が2〜3人と、そのお母さんがいるだけだった。
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- 「うお〜っ地震だ〜デカいぞ〜どうしよう」と叫びながら廊下を走っていたら、
教室の中からS木さんが子供たちに、
- 「机の下にもぐって静かにしましょう」
「他のお友だちを怖がらせるようなことは言っちゃダメよ」
「きゃーとか言ったら、他のみんなもますます怖くなっちゃうでしょ」
と、言っている声が。おもいっきりうろたえた私は赤面。
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- 美学校はボロっちいビルの3階にあるのだが、重いモノの代表として
石版画のプレス機は大小2台、大のほうは500キロ以上はあるだろう。
銅版画のほうも、かなり大きいプレス機が1台、
- 他にカメラとライトテーブルのいずれにも巨大なガラス。
ビルが崩壊しないまでも、床(木製)が抜けたら500キロの下敷きである。
そういう意味では「美学校にいたくない」というより「美学校の下の階にはいたくない」である。
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- しかし、床が抜ける前に「倒れそうなモノ」を数えたらキリがない。
事務局でテレビを見ている最中にもT端さんが、
Q間さんの机の真後ろにある棚の上の段ボールが前進しているのを発見。
湯飲み茶碗の入った食器ケースが前進しているのを子供が発見。
冷蔵庫の上のリグロインの瓶をS木さんがそっと後退させる場面も・・・
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- 事務局だけでこの状態なので、工房の中といったら・・・
紙のストック用の棚(手作り)は床から天井までつながっているので、
倒れることはないと思うが、棚から飛び出たモノは、どうやら紙だけではなさそうだ。
各工房で、何を使用しているか詳しいことは知らないが、
アルミとか銅とか、いろんな材質の金属板もはさまっているのは確か。
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- 紙棚はともかく、薬品棚が。
それこそどんな薬品がどの位置にあるか、工房の人しかわからない。
石版で使う一番の劇薬「硝酸」の瓶が、どこにあるのか、私は思い出せない。だめじゃん!!
見つけ次第棚のなるべく低い位置に置こうと思う。
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- 廊下の以前は下駄箱のあった位置に、今は本棚(手作り)があるが、
本や雑誌(美術手帳のバックナンバーなど)がぎっしりと、
しかし、なぜか上部に行くほど積み方がいいかげん。ちゃんと積まんかい!
流しの上の食器棚(これも手作りっぽい)はここ数年扉がバカになっていて閉まらない。
その本棚と食器棚はほぼ向かい合わせで、しかもてっぺんに(私は手が届かない)
宴会用のガラスのコップがぎっしりと積んである。
その廊下を通って出口まで行くのは困難そうである。
かといって、裏の非常階段は真っ暗な上、真っ先に崩れ落ちそうなサビかげん。
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- 今日などはまだ作業おわって帰ろうとしてたとこだったが、
- もし石版の石(2〜30キロ?)持ってる最中だったら。
- 考えただけで足の指がジンジンするぞ。
- ああなんて危険な思いをして作品を作っているんだ我々は!
- これから我々のことを「版画戦士リトレンジャー」と呼んでくれたまえ。(ウソ。呼ばないで。恥ずかしいから)
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- 2004年10月19日
- 屋根と老人
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今年は台風の当たり年だと言われているが、
「当たり年」っていうと「大漁」や「豊作」のような良いイメージで
何か変、と思うのは私だけ?・・・・って、そういう話ではない。
この前、友達と世間話をしていて、台風多いね〜って話から、
台風があると必ず「70才男性、屋根から落ちて死亡」のニュースが流れるが
なぜ屋根に上る!台風なのに!老人なのに!(といっても自分の父ぐらい)
と、口々に声高に叫んでしまった。そういうわけで、
「なぜ老人は台風の日に屋根に上がるのか」について考察してみた。
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父親までの世代って、
「自分はお父さんだ!」「父は大黒柱だ!」「父は家(家族)を守る!」
という気負いがものすごく大きいのではないか、
だから、台風などの災害による家のピンチには、わき目も振らず
「オレがやらねば!」と屋根に上がってしまうのではないか?
たぶん、父より下の世代はもう、そんな気負いもなくなるから、
台風の日に屋根になんか上がらないのではないか?
(上がっても足を滑らせないだけ?それはわからないけど)
いずれにしても、家のピンチと言ったって冷静に考えれば、
瓦が2〜3枚飛ぶか、ちょっと雨漏りするぐらいなんだから、
もういいじゃん、あきらめろよ、と家族は止めるべきである。
話は変わるが、私の心配は台風の日にとどまらない。
私の父はよく屋根に上がる。屋根でバイオリンを弾くわけではない。
父はムカシっから家のあっちこっちをいじくるのが好きで、
なんだかヒマさえあればトントンガシャガシャバリバリ、
今でいう「リフォーム」なんてカッコイイものでなく、
建設現場でいらなくなった扉や窓枠がウチのよりも良いから、
と言ってもらってきて付け替えたり、棚をつけたりはずしたり、
屋根のペンキを塗り替えたりしている。
子供のころ、ある日父が、
- 家の前にあった高い木の枝下ろしをすると言って登っていた、
それを見ていた弟が、
「しんだらどうしよ、しんだらどうしよ」と言いながら
泣きベソをかいている。
「父があんなに高いところに上って、もし落ちて死んだらどうしよう?」
というのが彼の頭の中で縮まって、
「死んだらどうしよう」だけがぐるぐる渦巻いていたのだろう。
その姿が可愛らしく、家族のあいだでしばらく
「しんだらどうしよ」が流行っていた。
最近では「しんだらどうしよ」が笑い事ではなく、本当に心配である。
実家に電話するたび、最後に必ず「屋根には上がるな」と言っている。
もし家の近所の方で、父が屋根に上がっているのを見かけたら、
お手数ですが「マサやん、下りなよ」と注意していただきたい。
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- 2004年10月18日
- タマゴ半ダース
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幼稚園か小学校の図工の時間に、
タマゴの殻を使ってお雛さまか何かを作ったことがある。
私は大人になってから、もう一度そういうのを作ろうと思ったが、
タマゴの殻に穴をあけて、ストローで中身をチューチュー吸い出すことを考えたら、
なんだか嫌になってやめた。
幼稚園でお雛さまを作った時には、
そのタマゴが少なくとも2個は家に用意されていたということで、
すると、その「タマゴ・チューチュー」は誰がやったんだろう?やはり父か?
ディズニーのアニメ「美女と野獣」の最初の方に、
主人公の美少女に言い寄る町の男が、
自分の強さカッコ良さをアピールする場面があるが、
「オレがこんなに強いのは〜
毎日タマゴを半ダース飲むからだあ〜
タマゴ半ダース〜タマゴ半ダース〜(コーラス)」
みたいな歌が入る。こんな奴は嫌だと思った。
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- *タマゴ半ダースの歌を確認しようと思ったがビデオが見つからず、
- 検索したら「ガストンのように卵1ダース一気飲み」とか「3ダース」とか
- 「子供の頃から4ダース飲んできた〜今は5ダース飲んでる〜」とか色々出てきた。
- もうどうでもよくなってきたが、半ダースどころでは無かったようだ。
- どうりで映画館でオエッという気分になったわけだ。
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