- 〜日記のようなコーナー〜
- 2001年1月31日
- ノラといえば、、、あ、でもオルケスタ・デ・ラ・ルス解散しちゃったのか!
- 素朴すぎるギモン。
- ノラのどこが悪いのか?
ゴミを荒らすのは、ゴミの出し方が悪いからだ。カラス問題でもかなり話題になっとる。子供が噛まれるのは動物をかまうからで、放っておけば、動物はただダラダラしている。
だって、ペルーでもパレスチナでも(最近すぐココに例えちゃう悪いクセかも)日本よりずっと「困ってる」国なのに、ノラ犬猫は気ままに暮らしていたぞ。
ま、犬猫に噛まれる前に兵隊に撃たれちゃなあ。(笑・・・えない)
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ムカシ、小学校の校庭にはいつも犬の行列(サカリ中の奴ね)がワサワサ走っていた。たまーに用務員のおっさんが竹ボウキで「おりゃ〜」と追っ払ってはいたが。犬でさえそれだから、ネコなんてあたりまえだった。
いや、ネコは今でも実家ではノラにしてある。昔は畑に行くのにカギなどかけなかったが、2回も空き巣にやられちゃあ、カギかけろよ!と娘の私も注意する。したがってネコはいつも外にいる。でも物置き(農機具置き場)があるから、じゅうぶん屋根つき。しかも、堆肥が醗酵する熱で冬もホカホカらしい。そして、実家に帰るたびに覗いてみると、大きいのや小さいのが適当に増えたり減ったりしている。
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ここ数カ月、ある友人の頭の中に、かなり幅をとって悩ましている問題がある。それが近所に住むノラ猫親子のことだ。数々の苦難をのりこえ、最近ネコ達はその駐車場の市民権を得たらしい。しかし、そのためノラとしての立場があいまいになった。ノラとして市民権を得たのでなく、世話してる人がいることで「半ノラ」とみなされたようである。
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飼い主の責任 = 去勢なんである。東京では。なんでかなあ・・・。
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そうか、私は東京にいなかったら、ノラ猫について考えることなんてなかったんだ。多少は考えたかもしれないが「去勢」なんて言葉は実家では存在していなかった。だから私にはどうもピンとこなかった。だからちょっと今とまどっている。
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アウシュビッツまで持ちだして動物愛護を叫ぶつもりはないけど・・・。
だいいち動物愛護の人は去勢をすすめて計画的にきちんと飼うことをすすめるだろう。
- 都会でヒトと動物が共存するってそういうことなのだろう。
- ヒトがルールを遂行すること。
- ヒトのルールで町を機能させること。
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ここでも私には答えが出ない・・・・。
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去勢されて幸せな動物って・・・
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「パイプカットしてオネエちゃんとヤリまくりのおっさん」ぐらいか?
(しまった!下ネタ禁止キャラなのに!つい。)
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- 2001年1月30日
- 去勢つながり〜!(せめてタイトルだけでもオチャラケておこう)
- 恐ろしい本を読んだ。
「生きて、ふたたび -隔離55年ハンセン病者半生の軌跡」(国本衛著)
「らい予防法」によって隔離生活を強いられた筆者が、法律改正で「解放」されるまでの体験談なのだけど、これってアウシュビッツそのものじゃん!というものでした。
らい病患者の隔離は治療と称して、「根絶やし」するために、監視のもとに置かれたのだ。隔離生活者間にたとえば恋愛が芽生えたとする。結婚は許されるが、条件として避妊手術されるというのだ。考えられない!これが日本であったことだなんて。
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恐ろしい映画を観た。
ウカマウ映画については、前のほうに十分書いたが、最も腹が立ったのは、先進国の医療団による先住民への勝手な避妊処置だ。
- 「彼等は劣っている→これ以上増やさない→避妊手術」こんな考え方を、同じ人間がしたとは思えない。ナチスの考え方だってこれに基づいている。「こいつら要らない」と勝手に判断して勝手に根絶やしにしようとした。「民族浄化」とんでもない考えだ。
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ああ、何か、書いてるだけでぐったりしてきちゃった。
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それにしても、民族紛争は今もあちこちで続いている。この民族は要るけど、この民族は要らないなんてことがあるんだろうか?私は自分の民族が最も優れている!とまでは思わないけど、だからって根絶やしにされるのは困る!
人間て、いきなり何かいきなりとんでもない判断を下すし、それに気づかないことがある。それが、何千年もまえの、恐竜がいた頃ならまだしも・・・・・みんな、20世紀に起ったことだし、21世紀の今も似たようなことをやっている。
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