〜日記のようなコーナー〜


        
2006年8月25日
手ぬがー
          
手ぬぐい愛好者のことを「手ぬがー」と呼ぶ。・・・かどうかは知らない。
それにしても、いつから手ぬぐいの相場が840円〜1050円になってしまったのか。
高すぎである!!
手ぬぐいの印刷(染める)方法が、普通の布プリントと違って量産に向かないのもわかる。
色数が多いほど高くなるのもわかる。新しいのはデザイン料が加算されるのもわかる。
しかし、だ。
単色で、デザインも昔からあるもので版権の心配もないものまで高い。
         
だいたい、手ぬぐいを「買う」ことでさえ最初は抵抗あった。
手ぬぐい・タオル・カレンダー、の3点は昔は「もらうもの」と決まっていた。
           
タオルは、もらったものはデカデカとロゴマークが入っていたり、
薄くてすぐヨレヨレになるのだったり、厚くて高級そうだけど花柄が・・・だったり、
で、比較的早い時期から自分で使いやすいのを買うようになった。
      
カレンダーは、印刷の仕事をしている関係で、会社に通勤していた時は、
見本品から企業のもらいものまで、山ほどある中から自由にもらってきていた。
しかし全国的に企業が虚礼廃止の方向にあり、もらうカレンダーが少なくなった。
最近では、友人の個展でカレンダーを買う機会が増え、カレンダーは買うものとなった。
(自分で作れば?という声もあるが)
        
手ぬぐいは、母が昔からの手ぬぐい愛好家で、というより単なる汗っかきで、
首や腹に滝のような汗をかき、タオルを巻くとゴロゴロするから、と手ぬぐいを巻いていた。
私は若いころはあんまり汗をかかなかったから、それほど気に留めていなかったが、
このごろ太ったせいもあって滝汗というのを初めて体験し、
タオルでは蒸れて余計に熱い。やはり手ぬぐいだ!ということになったのである。
しかし手ぬぐいの使い勝手の良さに気付いた時には、売ってない、もらえない。
      
母が定年退職したので、以前ほどの滝汗はかかないであろうともくろみ、
帰郷した際それとなく家にある手ぬぐいを譲ってもらう相談をもちかけた。
(それとなく・・・もちかけた、って大げさな。遺産相続じゃないんだから。)
仕事はやめても家事と畑で滝汗には変わりないが、しまってあるタオル類の中から、
手ぬぐいを探しだしてもらってきた。母は「それよりタオル!タオルを持っていけ!」
と言うが、花柄タオルなら家にも大量にあるのだ。
           
冷房のない美学校では夏は手ぬぐい必携である。
手ぬぐいを愛用するだけでなく、集めるのも好きな人も多く、
代官山の「かまわぬ」まで買いに行く人までいる。
(おまえか〜?!手ぬぐいの値段を釣り上げている奴は!)
伊右衛門(お茶)にオマケで手ぬぐいをつけると、
美学校が伊右衛門だらけになる。大人買いする奴とかいて。
しかし伊右衛門の手ぬぐいは小さくて使いにくい。
これだけ伊右衛門と連呼したんだから、何とかしてほしい。
        
先日、M君が「サトコさん、僕もついに、手ぬぐいデビューですよ〜!」
と嬉しそうに紙袋から手ぬぐいを出して見せてくれた。
なぜ私に報告するのかよくわからないが「そうか!がんばれよ」と答えといた。
        

        
2006年8月24日
タオルで思い出した
          
印刷会社に勤めていた頃の話だが、
タオルの印刷(の版下)ほど割に合わないものはなかった!
大企業なら社名ロゴやマークの規定の「清刷り」というものがあって、
それを拡大縮小するだけで済むのだが、それこそ「ご近所」の商店や小さな会社は、
「去年と同じの」と言うが、一年前の版が印刷所に残っているわけがない。
見本で持ってきた去年のタオルから版下を起こすのはものすごい面倒な作業なのに、
それが店頭の人にも伝わらないんだから、ましてやお客さんに伝わるはずもない。
しかも、タダで配るものを作る手間賃がそんなに高いはずもなく、
年末の出血大サービス仕事と呼んでいた。
これこそが「タダほど高いものはない!」という教訓だと思った。
        

        
2006年8月21日
よろしい。
          
600円の買物をして千円札を出したら「千円からでよろしいですか?」と聞かれた。
他にどういう支払い方があるのか。気になる。教えてもらえばよかった。
          
ふと「吉良上野介」のことを「キラー上野介」だと思い込んでる人がいるんじゃないか?
と思いついて検索してみたら、やっぱりいた。まあ悪役だからしょうがないか。
(しょうがなくないって!)
        

        
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