- 〜日記のようなコーナー〜
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- 2009年10月24日
- 遺影
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- ときどき突然、亡くなった人のことをフッと思い出す。
そんな時その人は側に来ているのだと誰か言ってた。
昨日なぜかS井さんのことを思い出していた。
- 宇都宮のS井さんは、旦那の所属するバンド、パパ・サラの、
- 結成の時からずっと応援してくれた人で、
3月の酒蔵コンサートの準備や片付けにも、常にS井さんがいた。
私たち夫婦は東京と行ったり来たりで、多少疲れもあって、
「あれが無い、持ってくれば良かった」
「今朝あれほど言ったのに」と口論になる。
するとS井さんは「夫婦の会話っておもしろいね〜」と、
本当に可笑しそうに笑うのだった。
昨日、旦那とつまらんことで口論になった時に、
S井さんの「おもしろいね〜」を思い出したのだ。
一昨日がS井さんが亡くなってちょうど半年だった。
S井さんが亡くなった翌日、お家に駆け付けると、
「免許証から写して加工した」という遺影は、なんだかボケボケで、
昔の絵ハガキみたいに古くさく、中国のお菓子のみたいな派手な色合いで、
ぜんぜん現実感のない写真だった。
お母さんが、
「この子は、写真を撮るのが大好きで、色んな人の写真を撮っては、
贈るのがとても楽しみだったけど、自分の写真が一枚もないの。」
と、ポツンとつぶやいた。
家に帰って写真データを端から見ていくと、パパ・サラの10周年ライブの時と、
酒蔵コンサートの準備に来てくれた時、2枚の写真が見つかった。
お葬式の日にそれを持っていくと、親戚の方々が回して見ながら、
「こんな笑顔見たことがなかった」と口々に言う。
S井さんと会う時はいつも旦那や、パパ・サラメンバーと一緒の時で、
それはS井さんにとっても、楽しい時だったようで、
私たちはS井さんの笑顔しか見たことがなかった。
だから「笑顔を見たことがない」という言葉にはちょっとドキッとした。
(まあ、親戚が集まる機会って、そんなに笑顔にならない場合が多いから、
私だって、親戚の人は、下手すると小さい頃の顔しか思い出さないだろう。)
その後も何度かS井さんのお宅を訪ねる機会があるのだが、
スナップ写真が次々と集まって、仏壇の前を彩っていた。
S井さんはお友達がすごく多かったので、やはり私のように、
「家にもこんな写真があったよ」と後から持ってきたのだろう。
しかし、スナップ写真の自然な笑顔を見るにつけ、ますます、
あの遺影の写真はすごくヘンだと思う。
でも、もし自分が撮った写真が遺影になっていたら、
それはそれで辛かったかな、とも思う。
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- 2009年10月21日
- ダムダム人
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- ・・・言ってみたかっただけ。(笑)
- 今、いちばん熱いヒーローだそうですよ。
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- ダムは中止になったけど、リニアは大丈夫か?
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- ↑清水の舞台ではありません。
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- 向こうの山まで橋を掛けるらしいが、山には足場が無いため、
- こちらからグングン延ばしていくのだとか。
- 下の赤いドアは工房のある山小屋・・・というのは嘘だけど、
- 何しろ工房の窓からまる見え〜。
- 作っている最中なのに、なぜか廃墟の雰囲気。
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